岩波ホールで「嗚呼 満蒙開拓団」という
映画を観て来ました。
観客は、さすがに
シニアの世代の方が大半でした。
内容は、映画というよりはドキュメンタリ番組といった感じでした。
当時広大な
土地を求め、言い方はよくないかもしれないが広大な土地を所有して一攫千金を期待して昭和の初期に移り住んだ開拓団の方々への
インタビューと、密着取材を通して、敗戦に伴う引き揚げの時の悲惨な状況を浮き彫りにして行く映画でした。
いくつか印象に残っていることをいくつか記しておくと、
@昭和20年の8月というような時期でさえ、満州に渡った人たちがいた、ということです。
ある人は、身は現地に到着したものの、荷物がまだ到着しない内に軍の命令で引き揚げることになった経験を語っていました

。
今の世の中だったら、普通だったらありえませんよね?と言うか、あり得ないと信じてますよね?
でも、そんなことが実際にあったと聞くと、如何に庶民が情報から隔絶されていたのか、よく物語っている
エピソードです(今って、本当に大丈夫なのだろうか??と疑問に思ったりして)
Aいざ、引き揚げるとなったとき、引き揚げ列車には軍人そして其の家族、高級官僚が優先的に乗車して逃げ去り、庶民は置いてきぼりになった、というエピソード。
この話はこれまでにも聞いたことがありましたが、やはり、実体験として語られていました。
結局のところ、究極の限界状況では軍のモラル
ハザードが起こった前回の教訓は、たみびとの心の傷として根強く残されていて、反戦運動の原動力の一つになっているのではないでしょうか?
B引き揚げの最中、引率した軍関係者から、ついてこられない老人や
子供を打ち捨てるように再三陰に陽に指示がなされ、多くの人が親や子供を自ら殺めたり、打ち捨てたりした、という経験を語っていました。
これには身の震える思いがしました。
もし、自分だったら・・・
空調の効いた
映画館で安穏と
スクリーンに向かっている自分でもその恐ろしさに身の毛がよだちました。
C累々と重なりある屍、そしてそれを運搬し埋葬したと言うエピソード。これも想像を絶する恐ろしい光景ぢゃないですか!
友人の家を訪ねたら、麻袋を服代わりに巻いて生活しており、更に
「一寸これ見てくれよ」
と案内された敷地の一角には何層にも積み重なった屍が・・・
そうした身のよだつ・過酷な体験をし、本当に「半歩でもいい日本の土を踏んでから死にたい」という強烈な思いでやっと日本に帰国した残留孤児の人々。
正直言って、これまでなんとなく「同胞」という強い意識を持てずにいたんですが、この映画を観て「同じ日本人なんだ」「われわれよりずっと、あり得ないような苦労をしてきた同じ日本人が、どうして憧れの母国にすら安住の地を得られずにいるんだろう」って思いました。
青い鳥は、満州にいました、なんて寂し過ぎる。
posted by muffinman at 11:20| 東京

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雑感
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